菅氏は“首相失格”…党首討論で「思い出話」を語る総理では、日本経済は絶望的 ニュース 2021年06月11日 0 突然、「思い出」を語り始めた…菅義偉首相[Photo by gettyimages] 質問と噛み合わない菅義偉首相の答弁は、ほとんど聞くに耐えないものだった。6月9日に2年ぶり、菅政権としては初めて開かれた党首討論に、歯がゆさを感じた人は少なくなかったはずだ。というのも、菅首相のその言葉に「国民への思い」というものが感じられなかったからだ。 たとえば7月下旬に始まる東京オリンピック・パラリンピックに対して、十分な危機意識が窺えなかった。立憲民主党の枝野幸男代表が 「総理は月曜日の参議院の決算委員会で『国民の命と健康を守るのは自分の責任で、それがオリンピック開催の前提条件だ』と言ったが、最大のリスクは開催を契機として国内で感染拡大を招くことだ。開催の前提条件にこれを含むということで宜しいか」 と質問すると、菅首相は手元の資料に目を落としつつ、参加者の数の制限や数次にわたる検査、そしてGPSを付けた行動監視などの対策の他、日本国民との接触を禁止し、違反者には強制退去させることなどについてとつとつと答えていたが、突然1964年に開催された東京オリンピックについての“思い出”を語り始めたのだ。 「実は私自身、57年前の東京オリンピック大会、高校生でしたけれども、いまだに鮮明に記憶しています。それは例を上げますと、たとえば“東洋の魔女”と言われたバレーの選手、回転レシーブというのがありました。喰いつくようにボールを拾って、得点を上げておりました。非常に印象に残っています。また底知れない人間の能力というのを感じました。マラソンのアベベ選手も非常に印象に残っています。 そして何よりも私自身、記憶に残ってますのは、オランダのヘーシンク選手です。日本柔道が国際大会で初めて負けた試合でしたけれども、悔しかったですけれども、その後の対応をすごく印象に残っています。興奮したオランダの役員たちがヘーシンク選手に抱きついてくるのを制して敗者である神永(昭夫)選手に対して敬意を払った あの瞬間というのは私はずっと忘れることができなかったんです……」 菅首相はおそらく、自分なりのオリンピックへに対する思いがあることを述べたかったに違いない。確かに当時のオリンピックが国威発揚のセレモニーであり、東海道新幹線とともに戦後復興のシンボルで、夢があった。 だがそれから半世紀以上を経て、オリンピック・パラリンピックはその性格を大きく変えている。ある時は国際政治の道具とされ、1984年のロサンゼルス大会以降はビッグビジネスとして開催時間や競技運営などに、スポンサーの意向を強く反映されるようになったからだ。今回の東京大会もその誘致から巨大な資金が動いたとされ、フランス検察の捜査の手は日本にも及んだ。 にもかかわらず、わずか45分間しかない党首討論で、聞かれもしない「ノスタルジー」を述べる必要があるのだろうか。国民がいま最も知りたいのは、生活に直結するコロナ対策であり、経済対策であるはずだ。それは総理の「センチメンタルな思い出話」で満たされるものではない。続く≫≫≫引用:菅氏は“首相失格”…党首討論で「思い出話」を語る総理では、日本経済は絶望的 PR